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ベース賃貸契約をはじめ、馬堀海岸、横須賀中央、平成町など賃貸から売買まで幅広く取り扱っております。

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HISTORY

1970‘S

1971年創業

すべては「馬堀海岸」から始まりました。

 

業者である飯野 晃が「馬堀海岸」に小さな不動産事務所「飯野不動産」を開業したのは1971年のことでした。馬堀海岸は日本の港町「横須賀」に位置し、西武鉄道㈱が馬堀海岸海水浴場を埋め立てて完成した住宅地です。当初、私たちの事務所はその地に隣接する郵便局の前にありました。

開業当時は、創業者夫婦とその娘という家族三人で賃貸仲介管理を中心に営んでいました。夏休みには、事務所に集まった孫たちも管理物件に風を通すお手伝いに参加していました。

 

 

営業にあたり、飯野 晃は「Sincerity」「Hospitality」「Compliance」という3つのキーワードの実施を心がけていました。

現在でも馬堀海岸地区のお客様とは多くのお取引をさせていただいており、お打ち合わせの際には時折、創業者「飯野 晃」の話題になります。すると、ありがたいことに「本当にまじめで、実直で、親切な人でしたよ」とおっしゃっていただきます。創業者の人柄と信念を大切にしたい。そんな想いから、今もこの三点を当社の企業理念として掲げています。

 

 

Sincerity 誠実に

 

 Hospitality 親切な心配り

 

  Compliance 法令遵守

 

 

1971年

ベース契約」のスタート

 

時、飯野不動産はまだ世間ではメジャーでなかった、「ベース契約」の取り扱いを開始しました。これは在日米軍横須賀基地に配属されるアメリカ軍関係者(軍人さんとその家族、軍属さんのその家族)に、高級住宅を賃貸するビジネスです。しかし、当時は今以上に住宅を外国人に貸し出すことを不安に感じる方が多く、借りたいお客様に対して物件が不足しているという状況が長く続きました。そこで、私たちは根気強く、馬堀海岸、湘南鷹取、鎌倉ハイランド、逗子グリーンヒル等、西武鉄道㈱により開発された高級住宅街を中心にベース賃貸物件探しを続け、少しずつではありましたが、契約可能な物件を増やしてきました。

1980‘S

 

廃業の危機と事務所の移転

 

 

堀海岸の弊社店舗の契約期間満了に伴い、店舗の移転の時が近づいていました。しかし、開業時の年齢が高かった創業者は、この時すでに72歳。体調を崩していたこともあり、廃業を決意します。ですが、不動産管理業は廃業するのも時間がかかるもの。飯野 晃は残務整理を行なうために、移転先を安浦町のさらに小さな事務所に定めました。娘の助力のもとお預かりさせて頂いた物件の管理をなんとか継続しているさなか、東京の不動産会社に勤めていた「夏休みによく事務所に集まった孫の一人」が飯野不動産に就職することを決め、事業を継続することになりました。

 

1990‘S

 

 

雨ニモマケズ コツコツと。

 

 

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 

慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 

味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ䕃ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 

行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ 

ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ 

ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ 

サウイフモノニ ワタシハナリタイ  (宮沢賢治『雨ニモマケズ』)

 

 

ブルの崩壊に伴い、経済の縮小が始まった日本。特に証券業界や不動産業界は大打撃を受けていました。そんな中、当社は小さな仕事を堅実にコツコツ積み重ねて仲介管理業を続けます。飯野 晃の手帳には、宮本賢治の「雨ニモマケズ」のメモが偲ばされていました。この信念の如く、景気の減速下でも営業してきた飯野不動産には、次第に新しいスッタフも増え始めます。さらに、ベース向け賃貸と日本人向け賃貸管理も順調に業績を伸ばしていったのです。私たちは、この時代の努力が今に繋がっていると考えています。

 

 

 

2000‘S

 

日の出とともに若者たちが集まる。

 

しく造成された平成町に隣る「日の出町」。残務整理目的の事務所からこの地へ、私たちが店舗を再度移転したのは西暦が21世紀を迎えてからのことでした。

この時期に飯野 晃は現役を退き、「夏休みによく事務所に集まった孫の一人」が新しい代表になります。引退しても、時折開催された慰労会に参加。得意のハーモニカを演奏し、若いスタッフはその音に聴き入っていました。

 

神奈川県立保健福祉大学の正門前に位置する新しいこの事務所には、若いスタッフが集まり始め、お客様にも学生さんたちの姿が増えました。店舗は活気にあふれ、売買仲介やリフォーム再販、日本人向け賃貸管理でも徐々に業績を伸ばしていきました。そしてこの頃、わたし達はベース向け高級物件やファミリー向け物件や学生さん向け物件の企画や建築に着手し始めました。

同時に創業時から力を入れていた「ベース契約」可能な物件の数も順調に成長し続け、横須賀米海軍基地の正門前にある有名ストリート「どぶ板通り」にベース前営業所を開設することに相成りました。今現在でも在日米海軍関係者様のご来店が毎年400組以上となっており、私たちもクオリティの高い物件の供給と最高のサービスが提供できるように継続して努力しております。

2010‘S

 

ハーモニカよ永遠に

 

然として小さな会社ではありますが、地域に密着して営業を続けた飯野不動産は順調に管理戸数を増やしていました。大手の企業様との提携も実り、新築賃貸物件の供給も安定します。順風満帆にみえたこの時、創業者である飯野 晃が亡くなります。享年88歳、ハーモニカとともに。

創業者の死をきっかけに、社員一同、あらためて企業理念を遵守せんと胸に刻み、会社の更なる成長を目標として一丸となりました。やがて、会社とともにスタッフも成長し、次第に細部までこだわった大型の賃貸マンション、一団のベース向け物件、リノベーションなど多様な業務を手掛けられるようになります。この頃、本町16号線沿いに リノベーションオフィスも開設します。主に新築やリノベーションのミーテイングスペースとして利用しておりました。室内の塗装など社員みんなで作り上げた思い出のオフィス。現在はインフォメーションオフィスに集約されました。

そしてベース前営業所の隣にインフォメーションセンターも開設しました。

この店舗は横須賀米軍基地のメインゲートから どぶ板通りのメインストーリート入る角地にあります。新しく日本に赴任が決まり来日された、住まいを探すお客様が 住宅だけではなく、住まいに関する情報や日本の慣習等についてもお知らせ出来るように インフォメーションセンターと名前を付けました。

2020‘S

 

今こそ 「雨ニモマケズ」 コツコツと 再び。

 

して、現在。コロナウイルスや台風、大雨等、先が見通せない時代がやってきました。大いなる自然の猛威にあらがうことなく、受け入れながら。するべきことを「コツコツ」と。私たちは今こそ自分達の事だけではなく世界に目を向けて、なにをなすべきか冷静に考え、これから先の未来に向けて歩み続けます。

 

 

 

新たな一歩を踏み出す ㈱飯野不動産に是非ご期待ください。